夕日に輝く?!北斗星(1)

(写真)下り「北斗星」の推回列車は、オハネフ25の扉を開けて運転士が前方監視をしている。
こんなシーンが見られるのも、あとわずかだ。
東北本線 尾久-上野にて。2015年5月14日撮影。
EF135㎜ F/2LⅡ 1/500sec f:5 ISO:100 WB:10000K
台風崩れの低気圧が通過してから、暑い日が続いているような気がする。
今日も、推進回送で上野に向かう下り「北斗星」を撮影したのだが、下り列車の推進回送のみ、オハネフ25が頭になるので、運転士が貫通扉を開けて前方注視する姿を見ることが出来る。
ただ…、
「この列車の通過する時間帯は逆光のはずなのに、どうしてこのような絵が?」
と思った人は、普段から状況等を考えながら撮影している人です。
はい。逆光なので、敢えてそれを逆手にとって、夕焼けしているような絵を作ったんです。
日の長い時期なのに15時台で夕焼けなんてことはないわけです。
表現的に雰囲気が出せるような絵を作りたくて、敢えて色温度を上げて、逆光を逆手に取ったわけです。
ただ、逆光でガングロ写真は撮らないのです。
逆光でも、表現の仕方次第では面白い絵が作れるのです。
「(ウソ絵にしては)中々雰囲気出ているでしょ?」
残る運行日が徐々に少なくなってきている「北斗星」。
ちょっとした小細工は大好きなので?!そんな絵も撮ってみたい。
tag : 北斗星
復活した「北斗星」(3)

(写真1)今日はカツかった!井堀(信)付近は被り注意だ。下り「北斗星」。
東北本線 上野-尾久にて。2015年5月11日撮影。
EF300㎜ F/2.8LⅢ+Ex.2×Ⅱ 1/250sec f:8 AWB ISO:320 動体予測機能併用。
以前、このブログにも書いたのだが、井堀信号所付近で「北斗星」・「カシオペア」を撮影しようとすると、発車時間が接近している下り高架ホーム発の常磐線からの回送列車と被るケースがある。
今日は509号機とわかっていたので、以前「カシオペア」で撮ったアングルで撮ることにした。
実際、復帰一発目の「北斗星」の時も危なかったわけだが、今日は先に「北斗星」が見えたと思いきや、すぐに外側線からE531の姿が!
「もしかしてE531の影落ちか?」
結果はご覧の通りだが、私がシャッターを押したところは、幸い「北斗星」が先行していたので、機関車にE531の影落ちはしなくて済んだのだが、私より奥で撮影していた人たちは、見事にE531に被られて撃沈!
撮ろうと思えばいい絵が撮れる場所だけに、今回のダイヤ改正から設定された常磐線からの回送列車には気が抜けず、意外と緊張感が出てくる場所になってしまった。
この場所での被り回避だけは運任せになってしまうのだ。

(写真2)毎度のことながら、推回列車も押さえているのは言うまでもない…。
東北本線 尾久-上野にて。2015年5月11日撮影。
EF135㎜ F/2LⅡ 1/500sec f:5 WB:晴れ 動体予測機能併用。
推回列車も、できれば押さえておきたいもの。
この姿が見られるのも、あとわずかだ。
来年の今頃、この姿はもう拝めないだろう。
機会があれば、推回場面から撮影したい。
復活した「北斗星」(2)

(写真)今期でおしまいだが、「北斗星」をこのアングルでやっておきたかった。
東北本線 上野-尾久にて。2015年4月23日撮影。
EF85㎜ F/1.2LⅡ 1/1000sec f:4 Iso100 WB:晴れ。
4月に入ってからというもの、どうもすっきりとした晴れの日が少ないような気がする。
特に雨降りだと撮影に行く気も起こらないのだが、今朝は久しぶりに青空が拝めたので、午後から撮影に出ることに。
「「カシオペア」でやったアングルを「北斗星」でやりたい…。日の向きを見ながら…。」
「どちらの列車も今期でおしまいで来期はない。」
そう、もう猶予がないのだ。
撮りに出られるときは出るに越したことはないし、せっかくの晴れなので、逃すわけにはいかないのだ。
現場に着いて、ほどなくして推回列車が通過。銀ガマ509号機だ。
「木曜日は509号機。」
が定着している…。
ここから撮影しないと、来年はもう見られないのだから…。
やがて、16時20分を過ぎたが、なぜか地平下りの接近警報が点滅しない…!
そのうち、高架下りが点滅し始めた…。
「常磐線からの回送列車に被られるのか!」
程なく地平下りが点滅し始めたが、常磐線からの回送列車の方が先に通過。
「これで被られずに済む…。」
常磐線からの回送列車が通過した後、「北斗星」がやってきた。
「今日は大丈夫だわ。」
結果はご覧のとおり。
撮影してみて、
「この絵が撮れてよかった。」
と思うと同時に、
「残り時間が限られているので、出来る限り撮影しよう。」
「北斗星」終焉まであと4か月。
復活した「北斗星」(1)

(写真)まさか、復活一発目に銀ガマをぶつけてくるとは…。
東北本線 上野-尾久にて。2015年4月2日撮影。
EF300㎜ F/2.8LⅢ+Ex.1.4× 1/320sec f:8 ISO:400 WB:晴れ 動体予測機能併用。
今日の上野発から、期間限定で復活した「北斗星」。
復活最初の列車は、どうしてもこの場所でやっておきたかった…。
2008年春のダイヤ改正以降、明るい時間に上野近辺で、まともに下り「北斗星」を撮影できる時期は限られていた…。
それが、復活と同時に久しぶりに明るい時間に上野を発車する「北斗星」の姿が撮影できるようになったのだ!
「これは、何としてでも記録したい…。」
発車の40分くらい前に現場に着くも、撮影の人はちらほらしかいない。
「何とかなりそうだ…。」
いつものアングルでセットを始めて、しばし列車を待つ…。
やがて16:20を回り、下り地平の列車接近灯が点滅し始める…。しかし、なかなか列車が現れない!
とうとう、下り高架の列車接近灯が点滅し始めた…。
「もしかして…(被り)?」
無事に「北斗星」は姿を見せた。銀ガマだ!
「初日はこの組み合わせですか?」(汗)
撮影ポイントからピントを追わせつつ、バランスの良いところからシャッターを押し続けた。
手ごたえはあったが、切り終わると同時に、外側線から常磐線からの回送列車が顔を出した!
「引き目に撮ってたらアウトになるところだった…。」
結果はごらんのとおり。
まだ影が長いので、機関車の手すりの影がやや目立ってしまうが、4月の日差しなので時期的なものを考えても仕方ない。
ただ、機関車は違えど、昔の「北斗星1号」を彷彿とさせるような写真になったのは言うまでもない。
「撮れてよかった!」
と思うと同時に、
「期間限定だけど、もう少し頑張ってな。」
と、お手ふりをしながら、心の中で呟いてしまった。
せっかく、明るい時間に上野を発車する下り「北斗星」。
時間が許す限り、出向くことにしたい。
北海道寝台特急最終章へ…。(32)

(写真)「北斗星」が遅れていると分かっていたので、貨物1091列車を撮ったのちに鶯谷に向かったら間に合った。
写真は推回列車。鶯谷にて。2015年3月2日撮影。
「カシオペア」が、この先何回かEF81が牽引するらしい。
もしそうだとしたら、しばらくはいろんな意味で楽しみが増えそうだ。
さて、「北斗星」が定期列車運転終了まであと12日余り。
毎日見られた推回列車も、いよいよ見納めだ。
この日は約80分遅れで上野に到着した。
ただ、列車が遅れていると心配になるのが、対向列車等の被り。
幸い推回列車共々、被られることなく通過していった。
しかし、遅れが発生していると、遅れの時間次第では本当に被りは気になるもの。
実際に遅れているからと出向いたところで、推回共々見事に被られて終わるということが何度かあった。
今日のような晴れで、推回共々被られることなく撮れたことはラッキーだった。
北海道寝台特急最終章へ…。(31)
北海道寝台特急最終章へ…。(28)

(写真)晴れの古河を通過する「北斗星4号」。
東北本線 古河にて。2001年4月撮影。
古河駅も、今はこんなにすっきりした絵を撮るのが難しいのだろうか?
写真の88号機は、「土崎色」の中でも、深みのある赤色だった。
北海道寝台特急最終章へ…。(27)
北海道寝台特急最終章へ…。(26)

(写真)この夏が「北斗星」3往復最後の夏になるとは…。「北斗星4号」(当時)。
東北本線 尾久-上野にて。1998年8月撮影。
ある意味、恵まれていた時期だったかもしれない。
当時、「北斗星」は3往復体制で、ほぼ1時間おきに来るから、撮影の機会は多かった。
今や、寝台を撮影できるのは、最大でも2往復。
3月のダイヤ改正以降は1往復になり、日によっては列車設定がない日もある。
この時期、俗にいうところの「ネタガマ」と呼ばれるカマが入っても、平日に撮影している分には、そんなに騒ぎにはならず、安心して撮れたことを覚えている。
ちょうどこの頃から、俗にいうところの「土崎色」になった81を見かけることが多くなった。
8日にアップした「北斗星」の写真はまさにそれで、最初に見た時には違和感すら覚えたものだ。
近年はようやく安定した赤が出せるようになったが、土崎に検査が移管された当初は、機関車によってこの赤色がまちまちだったことを思い出します。
北海道寝台特急最終章へ…。(25)

(写真)常磐線迂回運転が始まった頃の「北斗星4号」。右手前の田んぼで稲作をしていたころが懐かしい。
常磐線 牛久-佐貫にて。1998年9月撮影。
ちょうど竜ケ崎ニュータウンに行く陸橋の上から撮影したと思う。
「北斗星」もさることながら、485系の「ひたち」が1本だけ国鉄色に戻ったりと、話題が尽きなかった。
常磐線迂回運転の「北斗星」は、95号機は上り列車で1回しか入らなかったような気がする。
写真は100号機だが、100号機も比較的早く姿を消したような気がする。
この頃から、機関車の検査が土崎工場(現:秋田総合車両センター)に移管され、出場する機関車の色に多少なりとも違和感を覚えたことを思い出します。
「北斗星」色の81も、赤の色味がやや深みのある色になったのもこの時期辺りからだったような気がします。
(写真の機体は、まだ入場前なので土崎色になる前のもの。)